あかねさす日の入りがたの百日紅くれなゐ深く萎れたり見ゆ
あかねさす日の入りがたの百日紅くれなゐ深く萎れたり見ゆ
作者:島木赤彦(1876~1926年)
下記の写真は、私にとって子供のような特別な百日紅の大木です。
今から21年前です。私の父は、取引先の来賓として、あるイベントに招待されました。
その際、結婚式に参列した時のような紙袋に、お土産(数個)を持ち帰ってきました。
父は私に「包みをあけていいよ…」と言うの「これなんだろう・・・」と言いながら、1つずつ、包装紙をあけながら、家族で団らんを楽しんでいました。
その一番上に、フローラルチューブに入った25㎝程のまるで、割りばしのような切り枝が載っていました。
こんなに細い枝が、育つのだろうか・・・、軽い気持ちで植木鉢にブスリとさしました。
毎日、水やりを続けていました。
それから僅か数日後、父は元気だったのですが、心臓発作で会社で突然死しました。
私は、この百日紅の水やりの時に、筆舌に尽くしがたい悲しくも、楽しくも空しくも・・・複雑な思いがこみ上げてきて、私には特別な存在になりました。
絶対にこの枝を枯らしたくないという強い思いが日に日に強くなりました。「大きくなってね。頑張ってね!」と毎日、話しかけながら水やりをしていました。
引っ越しの際にも、植木鉢事、次の家に持ってきました。
13年前、百日紅は150㎝程に成長。毎年、ピンク色の可愛らしい花をつけていましたが、強風が吹くと植木鉢ごと倒れることがしばしば。植木鉢の下から根っこも飛び出てきてしまいました。
家で大切に育てるには、もはや限界かと・・・。
私は親が眠る寺に問い合わせをしたところ、我が家の百日紅を受け取ってもらえることになりました。
山をもっている広大で立派な寺ですが、本堂の正面、皆様の目につく良い場所に、私の名前が書かれた寄贈という札を幹につけて植えて下さいました。
今年のお盆にお寺に行った時の写真です。大きな大きな木に成長、ピンクの花をつけていました。
うちに来てから21年の歳月が経ちました。
毎年、百日紅が咲いている頃を狙ってお参りに行くのですが、タイミングがずれてしまっていました。
今年は、やっと、いとおしい我が子の晴れ姿を見たような気持ちです。